「これ、しまいっぱなしだったんです」そう言って渡されたのは、使い込まれた小さなジュエリーボックスでした。
ほどけかけたリボン、鈍く光る金具。その中には、年季の入った指輪がそっと収まっていました。
このような場面は、私にとって決して珍しくありません。
大切な人から受け継いだアクセサリー。でもどう扱えばいいのか分からず、そのまま年月だけが経ってしまう。
宝石鑑定士として、そんな眠ったままの宝石と再び出会うたび、小さな物語に立ち会っているような気がします。
この記事では、そうした「形見のジュエリー」とどう向き合えばいいか、実際の相談事例を交えながらお伝えします。
ジュエリーには、値段だけでは語れない意味があります
贈った人、受け取った人、残されたジュエリーを持っている人など、記憶や思い出とともに宝石のもう一つの価値が宿っています。
ご相談を受ける中で、形見のジュエリーにまつわる悩みはとても多くあります。
よく聞くのは、こんな声です。
「処分してしまっても大丈夫なのか迷っていて…」
「誰かに譲るにしても、使われないかもしれない」
「デザインが自分の好みに合わなくて」
これらの言葉の裏には、「大切にしたい」という気持ちがあります。
価格や法律の問題ではなく、気持ちの整理に迷っているのだと私は感じます。
形見のジュエリーに向き合う4つのヒント
実際に行動に移す前に4つの視点からみてください。
① まず、その石が何かを知ること
素材や処理を知ることで、選んだ人の背景や時代が見えてくることがあります。
② 金額ではなく、次に渡せる状態かを確認する
高価でも壊れていては譲りにくく、逆に手頃でも状態が良ければ受け取られやすいです。「次に渡せるか」が大切です。
③ リメイクは今の私に合う形にする手段
ブローチからネックレスへ、イヤリングからイヤーカフへ。想いはそのままに、使える形に変えることができます。
④ 古い紙やレシートも残しておく
昔の保証書や、外国語の鑑定書、色あせた領収書なども、後々に価値ある証拠になります。
実際のエピソード3つから形見ジュエリーへの向き合い方を考察
それぞれのケースへ私がどう対応したか、形見ジュエリーの取り扱い例を紹介します。
形見のジュエリーには、残す・譲る・変える・手放す、すべての選択肢があります。
どれが正しいというわけではなく、「ちゃんと向き合ったこと」自体に意味があります。
▽ エピソード1:「母から受け継いだリングを、娘の誕生石に」
相談に来られたのは、63歳の女性Hさん。淡いピンクのカーディガンが似合う、穏やかでやさしい印象の方でした。
手にされていたのは、30年以上前に他界されたお母さまから譲り受けたという、重厚なガーネットの指輪。
「若い頃は、母とおそろいで出かけたこともあったんです。懐かしいなぁって…でも、今は派手すぎてつける機会がなくて」
「でも処分する気には、どうしてもなれなくて」と、ふと目線を落としたその様子が印象的でした。
私はこうご提案しました。
「もしよければ、娘さんへの贈り物としてリメイクしてみませんか?」
Hさんは一瞬驚かれたあと、小さく頷いて言いました。
「実は来月、娘が30歳になるんです。誕生日に何か特別なものを…って考えていたところで。母の石を渡せたら素敵ですね」
ガーネットは1月の誕生石。リングの石座は現代的なデザインにリモデルし、小ぶりで日常使いしやすいフォルムに。
完成したリングを見た娘さんは「ママが受け継いだ石って思うと、すごく特別な感じがする」と笑顔で語ったそうです。
「これで母と私、そして娘へと繋がった」——Hさんの目に涙が浮かんでいたのが、とても印象的でした。
▽ エピソード2:「母のネックレスが“宝物”に変わった日」
「これ、母からもらったんですけど…正直、よく分からなくて」そう言って来店されたのは、40代前半のMさん。
カジュアルなジーンズに、シンプルなシャツ姿。仕事帰りだったそうで、どこか疲れた表情を浮かべていました。
手にしていたのは、一見何の変哲もないホワイトゴールドのネックレス。トップには控えめなブルーの石が一粒だけ。
「ずっと引き出しに入れっぱなしだったんです。ある日、娘が『ママ、それ可愛いじゃん』って言ってくれて。久しぶりに出してみたんです」
ルーペで確認すると、ネックレスの留め具には「Pt950」の刻印が。そしてトップの石は、非加熱処理のブルーサファイアでした。
それを伝えると、Mさんの表情が一変。「え…本物なんですか? そんな価値があるとは思ってなかった…」
「母が普段からよく着けていたので、てっきりファッションジュエリーかと。まさか、そんな上質なものだったなんて」
Mさんはネックレスを握りしめ、「これからはちゃんと身につけていこうと思います」と優しく笑いました。
▽ エピソード3:「捨てられなかったイヤリングに、新しい役割を」
50代のTさんが持参されたのは、古びた紙袋に丁寧に包まれたイヤリング。
「母の形見なんです。自分にはどうにも使い道がなくて。でも、どうしても捨てられなくて20年以上引き出しにしまったままでした」
手のひらに乗せられたのは、小さな真珠のイヤリング。どこか懐かしく、温かみを感じる逸品でした。
「実は、姪が大学を卒業するんです。お祝いに何か贈ろうと考えていたところでした」
「もし、女性に贈る予定があるなら、リングにリメイクできますよ」とご提案。
Tさんは少し驚いたように口元を緩め、「それなら母も喜ぶ気がします」と静かに頷かれました。
完成したリングは、繊細な模様を残しつつ、今風のフォルムに。
後日、「姪が『かわいい!しかもおばあちゃんの?宝物にするね』って言ってくれたんです」と報告がありました。
最後に:宝石に宿るのは時間
ジュエリーは、装飾品であると同時に「記憶を記録する器」です。
身につけていた人の時間、想い、背景をそっと残してくれる。
「どうしようかな…」と迷ったら、まず手にとってみてください。
向き合う時間こそが、次の一歩を照らしてくれるはずです。
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